金戸凜の母も元オリンピック選手!親子で五輪出場を目指す英才教育とは?
”プールではコーチ 更衣室を出たら親子”
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7月27日(土)午後10:00~NHK BS1— NHK東京2020 (@nhk_2020) July 26, 2019
東京オリンピックを目指す金戸凜さんは、両親や祖父母がオリンピック出場しています。
姉や兄も現役選手とのこと。
目指すは親子3代オリンピック出場!
金戸凜さんのインタビューの「受け答えがしっかりしている」と評判です。
どんな教育を受けてきたのか調べました。
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金戸凛の母も元オリンピック選手!親子で五輪出場を目指す英才教育とは?
まずは金戸凛さん一家のプロフィールをみていきましょう。
「飛び込み一家」と呼ばれるのには理由があるのです。
金戸 凛のプロフィール
名前 | 金戸 凜(かねと りん) |
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生年月日 | 2003年7月18日 |
出身地 | 埼玉県 |
所属 | セントラルスポーツ |
学校 | 目黒日本大学高等学校 |
身長 | 150cm |
体重 | 40kg |
高跳び競技選手。
2014年8月 | 全国少年少女水泳競技大会・女子飛び込みで初優勝 |
2015年 | アジアエージグループ選手権で飛び板2種目と高飛び込みで3冠 |
2016年 | 全国中学の3m飛び板飛び込み、高飛び込みの2冠 |
2017年2月 | 国際大会派遣選手選考会(東京辰巳国際水泳場)に出場 3メートル板飛び込みで300.5点を記録してトップ |
2019年4月 | 日本室内選手権飛込競技大会高飛び込みで優勝し、初の代表 |
幼少期よりトランポリンとバレエを学ぶ。
凜さんのご両親は、金戸ダイビングクラブ(旧ミキハウスダイビングクラブ)で若手の育成をしています。
そんな家庭に生まれた凛さんは、小さいころからプールが身近にありました。
小学校1年生から飛び込みのプールに入ることが出来たことから、1mの高さのジャンプ台から始め、気がついたときには選手に!
幼少期より習っていたバレエのおかげで足首の柔軟性があり、足の甲から曲がることができる凜さん。
高跳びの競技の採点で、足の指が最後まで真っすぐ伸びていると印象が変わるので有利。
【凜さんの中学時代の1日】
5時半起床 | 東京都の学校までバスで1時間かけて登校 |
16時30分 | 学校が終わると、父親の金戸ダイビングクラブへ |
22時頃 | 帰宅(夕食はバスの中) |
毎日練習で遊ぶ時間はなく、練習や試合などでなかなか学校には行けません。
普通の中学生では考えられないほどの練習量で、生活すべてを高飛込競技。
才能だけではなく、努力も半端ない凜さんです。
姉:金戸 華のプロフィール
名前 | 金戸 華(かねと はな) |
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生年月日 | 1998年8月20日 |
出身地 | 埼玉県 |
所属 | セントラルスポーツ |
競技 | シンクロ |
物心ついた頃からプールサイドが遊び場で、3歳からはバレエを習い、美しい姿勢や体の柔軟性を磨きました。
小学1年から本格的に競技を始め、ジュニアの全国大会を制しています。
高校1年の時、日本オリンピック委員会(JOC)が創設した有望な中高生を寄宿制で育成するエリートアカデミーの選手に抜てきされるほど実力。
2014年 | 日本選手権女子3メートル板飛び込みで4位 |
2016年2月 | ワールドカップ(W杯)金戸、渋沢組は最下位 |
2019年9月 | 日本選手権女子シンクロ板飛び込みで、渋沢小哉芳とのペアで頂点に |
2014年の日本選手権女子3メートル板飛び込みで4位に入ると、シンクロ種目で当時3大会連続で世界選手権に出場していた渋沢とペアを組むことになりました。
2019年9月の日本選手権女子シンクロ板飛び込みで、渋沢小哉芳(しぶさわさやか)さんとのペアで4年ぶりに頂点へ。
以前、リオデジャネイロ五輪出場を懸けた国際大会でミスから0点を記録。
【0点を記録した理由】
2016年2月、リオデジャネイロで開かれた五輪最終選考会となるワールドカップ(W杯)で、渋沢とのペアでのシンクロ板飛び込み。
15組が出場した予選は最終5回目を迎えた時点で金戸、渋沢組は13位だった。
逆転狙いのラストで、高難度の前宙返り2回半1回ひねりえび型に挑んだ。
弾力性のある飛び板の先端に向かう助走で、金戸はバランスを崩して体勢を立て直せないまま入水。
体が回転し切れていないと判定されて「0点」で最下位に終わることになった。
どん底を味わった華さんが「憧れで終わらせない」と「家族3代五輪出場」の夢へ。
五輪の飛び込み
- 固定された高さ10メートルの飛び込み台から飛び込む「高飛び込み」
- 弾力性のある高さ3メートルの飛び込み板から跳ね上がって飛び込む「板飛び込み」
- 2人同時に飛び込む「シンクロ」がある
- 2秒弱の間に宙返りなどの技を繰り出して評価点を競う
華さんは、金戸の長女としてのプレッシャーや挫折を乗り越えてきました。
それは計り知れないほどの努力が必要だったことでしょう。
2020年2月の国際大会派遣選手選考会で優勝したペアは、同4月のW杯(東京)に出場できる。シンクロ種目の代表選考はその結果を基に、日本水連が「総合判断する」としている。
兄:金戸 快プロフィール
名前 | 金戸 快(かねと かい) |
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生年月日 | 2001年?月?月 |
お兄さんのことはあまり情報がありませんでした。
父:金戸 恵太のプロフィール
名前 | 金戸 恵太(かねと けいた) |
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生年月日 | 1967年4月29日 |
出身地 | 東京都 |
所属 | ミキハウス |
出身大学 | 日本大学 |
高跳び競技選手。
ソウルオリンピック、バルセロナオリンピック、アトランタオリンピック代表。
1992年 | バルセロナオリンピックの男子高飛び込みで8位入賞の快挙 |
2004年 | アテネオリンピックでは日本選手団コーチを務めた |
1997年 | 飛び込み選手・元渕幸と結婚 |
2004年 | アテネオリンピックでは日本選手団コーチを務めた |
2008年 | 映画『DIVE!!』俳優のダイビング指導・川口コーチ役として出演 |
恵介さんのご両親の俊介さんと久美子さんも元飛び込み競技の五輪選手。
幼いころから飛び込みに取り組み日本を代表する飛び込み選手に成長ました。
1992年のバルセロナオリンピックの入賞は、1936年のベルリンオリンピックの男子板飛び込みで柴原恒雄が、4位に入賞して以来の日本飛び込み界に56年ぶりの入賞をもたらしました。
引退後は指導者に転身。
現在は金戸ダイビングクラブ(旧ミキハウスダイビングクラブ)で若手の育成に当たっています。
2008年6月14日公開の飛込競技を題材にした映画「DIVE!!」では撮影前の合宿時から選手役を演じた俳優のダイビング指導をし、劇中でも川口コーチ役として出演している。
母:金戸 幸のプロフィール
名前 | 金戸 幸(かねと ゆき)、旧姓:元渕(もとぶち) |
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生年月日 | 1968年12月23日 |
出身 | 東京都 |
所属 | ここに説明文を入力してください。 |
卒業大 | 天理大学 |
元飛込競技選手で、現在は指導者。
キリンラガービールのCMにも出てました。
1988年 | ソウルオリンピックで高飛び込み15位、飛び板飛び込み16位 |
1992年 | バルセロナオリンピックでは、高飛び込み26位、飛び板飛び込み11位 |
1996年 | アトランタオリンピックでは、3m飛び板飛び込みで6位入賞 |
1997年 | 金戸恵太と結婚 |
幸さんは3歳のときバレエを始め、奈良県天理市に引越したのをきっかけに、9歳のとき飛込競技に転向しました。
1996年のアトランタオリンピックでは、3m飛び板飛び込みで6位入賞。女子飛び込みとしては60年ぶりの入賞。
1997年、同じくソウル・バルセロナ・アトランタ五輪に出場した飛び込み選手・金戸恵太と結婚。
現在は夫とともに飛込専門のクラブチームを立ち上げ、コーチとして指導に携わっています。
父方の祖母:金戸 久美子プロフィール
名前 | 金戸 久美子(かねと くみこ)旧姓;渡辺 |
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生年月日 | 1936年5月10日 |
出身地 | 東京都 |
卒業校 | 日体大卒 |
元飛び込み五輪代表渡辺久美子
1958年 | 東京・アジア大会で高飛び込み優勝 |
1965年 | 東京・日大桜丘高教諭として後進を指導 |
ローマ、東京五輪に出場。58年東京・アジア大会で高飛び込み優勝。65年から東京・日大桜丘高教諭として後進を指導。
父方の祖父:金戸 俊介のプロフィール
名前 | 金戸 俊介(かねと しゅんすけ) |
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生年月日 | 1940年1月5日 |
出身地 | 石川県 |
卒業大学 | 日本大学 |
飛込競技選手・飛び込み指導者で元飛び込み日本代表。
ローマオリンピック、東京オリンピック代表
1960年 | ローマ五輪で五輪史上初の「前宙返り3回半えび型」に成功 飛板飛込みで23位、高飛込みで10位 |
1961年 | ユニバーシアード大会で高飛込 優勝 |
1963年 | 高飛込競技、板飛込競技で2冠 |
1964年 | 東京オリンピックで飛板飛込み24位、高飛込み11位。 |
1966年 | 埼玉・市立川口高教諭・日大水泳部飛び込み監督・日本水泳連盟強化コーチなど歴任 |
1992年 | バルセロナオリンピックでは日本選手団コーチを務めた |
日本大学卒業後、日本を代表する飛び込み選手として長く活躍してます。
身体能力と集中力が武器だった俊介さんの華麗なフォームは、歴代の日本選手の中でもトップクラス。
同じくローマ・東京五輪に出場した飛び込み選手・渡辺久美子と結婚。
引退後は指導者に転身し、1992年のバルセロナオリンピックでは日本選手団コーチを務めました。
金戸凛の英才教育方法は?
凜さんのご両親がNHKの取材で語っていたのをまとめました。
金戸さん一家は、母親だけではなく父親の恵太さんも愛情たっぷり子どもたちへ注いでいます。
父親の恵太さんの教育方法
- プールではコーチ、更衣室を出たら親子に戻る
- 自分が両親からされて嫌だったことはしない
- 家で競技の話はしない
- 失敗よりも小さな成功体験に目を向けさせる
- 失敗しても怒られない土台を作る
- 苦手なものから逃げず向き合う
- 勝負は貪欲になろう
恵太さん自身が、ご両親がオリンピック選手ということで自分に実力がないと感じているにも関わらず、取材されたり「オリンピックを目指すんだろ」と勝手に決めつけられることが嫌だったようです。
そのため、子どもたちには自分が両親からされて嫌だったことはしないと決めました。
例えば、家では競技の話はしない。
多少の失敗は「いいよ、いいよ、よくできたね」と褒めて、成功体験を増やしてきました。
失敗という記憶よりも、成功を目指すことが楽しくなり失敗しても怒られない土台づくりが大切。
いつの間にか3人の子どもたちは自然に飛び込みが好きになり、オリンピックを目指しています。
飛び込みは、人生のようにうまくいくことがほとんどない。
つらいし怖い。
苦手なことを避けて長所だけを伸ばしていくという取り組みはダメ。
「この競技で悩んでることよりも、将来子ども生んで育てて家を支えることや、好きじゃない仕事に就くほうが大変だよ」
そう言って、苦手なものから逃げずに向き合うことの大切さを学んでほしいと思っています。
オリンピックはすごくハードルが高い大会。
「どうせやるなら出るだけではなく、メダルを目指そう!」
「どうせメダルを目指すなら金メダルを目指そう」
チャンピオンシップスポーツ!競技なので勝負には貪欲であるべきだと。
母の幸さんの教育
- 赤ちゃんのころから飛び込みがすきになる工夫をした
- 楽しく教える
- 父親との役割分担がしっかりできている
- 父親が厳しく言っているときは口を出さない
子どもたち3人ともに教えていたのは幸さんでした。
辞めないように楽しく教えていましたが、母と子であると甘えが出てきたのでタイミングを見計らって厳しい父親へバトンタッチ。
子どもたちは、父親から厳しいことを言われても我慢するが、母親だと泣いてしまったり弱音を吐いたり。
父親が厳しく言っているときは、絶対に口を出さない。
幸さんは、子どもたちにとって安心できる場所であり、聞いてあげられる場所を常に用意したいと語っていました。
子どもたちに飛び込み選手になってもらうために、赤ちゃんのころから飛び込みが好きになるよう工夫していたのとのこと。
金戸凜の親子で五輪出場を目指す英才教育まとめ
- 身体作り
- 環境作り
- 両親の役割分担
金戸凜さんのご両親は、子どもたちが飛び込みが好きになるよう赤ちゃんの頃から工夫しています。
【身体作り】
飛び込みに必要な美しくしなやかな身体作りのためにバレエや、体幹を鍛えるためにトランポリンを学ばせることも。
教育の中で、特に大切にされてきたことは内面。
【環境作り】
子どもが安心できる居場所作り、萎縮させないことに配慮した厳しい指導方法。
何より、逆境に立ったときに逃げずに立ち向かう強さを教えるとともに、良き相談相手になることを心がけています。
【両親の役割分担】
母親の幸さんが子どもたちの成長を見極め、父親の恵太さんへバトンタッチ。
その後、恵太さんは父親としての厳しさであり、大きく包む安心感を持たせる指導をしています。
ご夫婦のどちらか一方に負担がかかるのではなく、上手に役割分担できていることが、凜さんたちの強さに繋がっているのでしょう。